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源義経の伝説や遺跡は、日本各所で語り継がれ、数多にして跡を絶たない。
『源平盛衰記』『義経記』にも記された、北陸における義経の旅跡は実に多く、その痕跡の鮮烈さにおいて能登は際立つ。 絶景のただ中には、悲運を生きた義経の面影が確かに残る。
頼朝の厳しい追手から逃れるため義経と弁慶一行が48隻の舟を隠したと伝えられる入り江・義経の船隠し。またその途次、義経が立ち寄り奉納したとされる「蝉折れの笛」が遺された須須神社。
そもそも義経が北陸ルートを選ぶに至った2つの背景を紐解けば、さらにドラマティックな物語が宿っている。
義経の義父・平時忠は壇ノ浦の戦いで破れた後、奥能登へ配流されていた。「平家にあらずんば人にあらず」と豪語した大納言としていまに語られる平時忠ではあったが、その子・時国の代になると平の姓を名乗り続けることができず、時国を姓とするようになった。
義経を保護した比叡山延暦寺と白山神社、山王信仰、修験者たちの物語も興味が尽きない。能登にあるのは、時の権力者にあらがえず、耐えて生き抜く歴史でもあった。
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一方、庶民の心には祭りの文化と歴史が脈々と受け継がれている。
能登キリコ祭りは能登半島のほぼ全域にわたって、7月初旬から9月の中旬まで続けられる夏祭。その土地の風土に彩られた高さ10m以上にもなる何基もの切子灯籠が、夜を徹して街の中を練り歩く。
7月、能登キリコ祭りは「あばれ祭り」(能登町)からはじまる。その名のとおりキリコやみこしが大暴れする様は圧巻の一言。
8月になると、雄壮華麗に乱舞する「石崎奉燈祭」(七尾市)、最多のキリコの数を誇る「八朔祭り」(富来町)、キリコが海へと入っていく「沖波大漁祭り」(穴水町)、美麗な輪島塗のキリコが林立する「輪島大祭」(輪島市)、キリコも担ぎ手も華やかな色彩で身をつつんだ「蛸島キリコ祭り」(珠洲市)など、9月も半ばを過ぎる頃まで続けられる。
能登で賑わうキリコ祭りの熱気の中に、一度は立ってみたいと思う。
計算しつくされた演出のエンターテイメントも良いけれど、何百年もの昔から、ニッポン人の血をたぎらせた神様と出会う祭りと同化したい。
奮い立つ熱い気持ち。羽田からわずか1時間後に待っている
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