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「日没から遡って30分前までの海の色が、僕には特別な風景ですね」
それは太陽が辺りを赤く染める外浦(能登半島の西海岸)の夕陽を想っての言葉ではない。
七尾湾の海沿いを走る『のと鉄道』の運転士は、ブルーがさらに深く濃く色を染める内浦(能登半島の東海岸)の夕暮れが、何よりも大好きな能登の景色なんだと微笑んだ。
穏やかな内浦は、鏡のようにキラキラと太陽を水面に映し、ボラ待ち櫓や牡蠣棚といった能登ならではの演出を凝らす。
なるほど多くの歌人俳人の唄に詠まれた理由はこれだ。
空気の澄んだ日ともなれば、遠く向こうに立山連峰の真っ白な姿までもが美しく浮かぶ。深くカーブする海岸線をクルマで辿れば、次から次へと趣向を変えた海景が、旅人の目を存分にもてなしてくれるのだ。
たとえば海に生きる能登の漁師は、
「海に沈む能登の夕陽を、沖の船から眺めてみなよ。どれほど綺麗か」
と威張る。そのくせ家に飾られた写真は、千里浜から見た夕陽だったりする。
あるいは能登の道を走り尽くした年配のタクシー運転手は、
「波の激しい外浦と間垣が連なる漁村とを一望する大沢の道が一番だね」
と語りながら地図を広げて指で辿る。まさにそこは、荒波に削られてほぼ垂直に切り立った勇壮な断崖の上を走る道。
日本海の荒波と表現されるそのままの風景が外海にはある。
岩肌を露わにしたダイナミックな海食崖、打ち寄せる波に削られた奇岩の数々。ただ波の音だけが繰り返し聞こえるだけの空間。闇が迫る頃にもなれば、ぽつりぽつりと漁り火が灯り、幻想的な世界をつくる。
結論から言って、能登は東西非対称の半島である。
どちらが良いとか言う話では全くない。そのどちらの顔も一度に見られるからこそ、それだけ満足が大きいのだ。
初めて訪れる旅人が決まって驚くのが、あまりに異なる海の姿とその風景。海の記憶が刻一刻と積み重ねられる至福の時間。
その先端‘禄剛崎’を境にして内浦と外浦とに分かれる半島。
異なる2つの海景を走らせて、海岸線を辿る旅人に、能登は愛しい記憶を贈りつづける。
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能登には『星の街』と呼ばれる場所がある 。
それは偉大なる天文学者パーシヴァル・ローウェルに由来する。
火星を語った彼の言葉は世界を魅了し、冥王星の存在は彼によって教えられた。果たして彼が愛したのは、天空の星と異境の地『NOTO』だった。
能登の人々はというと、パーシヴァル・ローウェルの来訪をきっかけに、夜空の星を愛するようになっていた。
幸い能登には山があった。山の上の小さな町に大きな天体観測所が建ち、いまでは2つの彗星を発見するまでになっている。夏の夜、能登の澄んだ空の景色は、星の光がまぶしいほどに今日も明日も優しい街に降り注ぐ。
三方を日本海に囲まれた能登半島、しかしそこは6つの山地から成る平頂丘陵に他ならない。そう、能登が誇る最大の特徴は、半島一面にわたる広大な山地群でもあるのだ。
山は夜空を一層美しく魅せる舞台となり、海抜200メートルの高台から広がる眺望は、地図に記された半島の形と揺らめく水平線の膨らみを、圧倒的なスケールで旅人の眼前に描き出す。
斜面にひしめく千枚田の美景あり、木々の合間に咲き誇る可憐な花の群生あり、山里で土と暮らす長閑で優しき笑いあり。
海と山とのコントラストが、またひとつ能登を愉しむツールとなる。
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たとえば東京にだって緑はあるしカブトムシもいる。 それなりに癒されるしそれなりに安らぐ。
けれどそれを心の底から感動したり、ましてや自然に対して涙を浮かべたりなんて体験できやしない。
増穂浦の海岸で桜貝を拾いながら、目にした夕陽の美しさに思わず泣き出した旅人。
長い長い遊歩道の木々を掻き分け、肩で息を吐きながら、いきなり飛び込む海の景色に感嘆の声を上げる旅人。
ただぼーっと漁師の姿を何時間も目で追い続ける旅人。
いろいろな人間が、いろいろな想いを持ってこの能登にやって来る。そうして旅人の心は、すっーと能登の自然と一体になる。気が付けば忘れかけていた優しい気持ち。
羽田からわずか1時間後に待っている優しい時間。
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